「完全優勝を果たした黄金期の磐田”N-BOX”は、果たして世界に通用するサッカーだったのか」2002年シーズン J1 2ndステージ第14節 ジュビロ磐田-ヴェルディ川崎

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2002年11月23日、1stステージを優勝した磐田が2stステージも首位を堅持、引き分け以上で完全優勝という条件のもと、ホームに東京ヴェルディを迎えた試合。

磐田はゴン中山と高原、中盤が名波、藤田、服部、福西とオールスターのような豪華なメンバーで、ヴェルディは相馬直樹、山田卓也、エジムンドらが出場。

このシーズンの磐田は、鈴木政一監督が生み出した、名波をセンターにして中盤の選手をサイコロの5のように4人並べた「N-BOX」で一斉を風靡した華麗なサッカーを見せたわけだが、今の視点で見ると福西をアンカーにした3-1-4-2のほうがしっくり来る気がする。

ゴンは前線の飛び出しで相手のDFを引きつけ、それを囮にして高原がポストプレイでパスを引き出し、彼らの動きによって出来たスペースに、中盤の4人が流動的に動いてダイレクトパスを繋いで行く。この時代のJは守備のプレッシャーが緩いとは言え、現代の目で見てもモダンで面白い。

試合は、磐田が圧倒的にボールを支配しながら、高原やゴンが決めきれず。惜しむらくは、磐田の攻撃はクロスの精度、スピードが足りない。ヴェルディも、平本とエジムンドの2トップが好調、特にエジムンドのキープ力とパスセンスはワールドクラスで、何度か怖いカウンターを見せて対抗する。

そのままどちらも得点が入らず90分が過ぎ、ゴールデンゴール方式の延長戦も前半はどちらにも決定機がありながら決められず、これはスコアレスドローで磐田が優勝になるかと思った119分目、金沢のパスから最後は福西がファーに流し込むシュートを決めて試合終了。ジュビロ磐田が2ステージ制になって初めての完全優勝を飾った。

結局、2001年に開催予定だったクラブ世界選手権が中止になり、このN-BOXが世界に通用するかどうかを図る機会は失われてしまったのだが、今から見ると3バック+アンカーの守備は脆弱過ぎるし、攻撃ではラストパスの精度と決定力で、出場したとしてもかなり厳しい結果になってしまったのではないかと思う。が、2002年という時期で国内組日本人のみではどんなサッカーだったとしても限界があるのは確か。かえって出られなかった事で永遠のファンタジーとして残れたのかもしれないね。

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