この3連休は暑さでやられてしまったので、夜は早めに寝てしまい五輪決勝以外はサッカーを見てませんでした。
なので、その間にいただいたZEROさんからの追信をネタにさせていただきます。
ざっと見た限りですが、ガゼッタさまの予想通り?負けてしまいましたね。スペイン戦で燃え尽きていた部分もあり、あの様子では仮に勝利していたとしてもブラジルにぼこぼこにされたであろうことも想像される敗戦でした。
お取り上げいただいた際にコメントいただいた「選手任せだから支持されている」という言葉のいちいちに納得する一方で、だからこそ今回の試合のように相手に研究されてしまえば何もできなくなる、というアジア杯の時と同じ結果になった、と思います。
それは仕方ないとしても、録画していた映像を見ていて気になったのは監督のコメントですね。表彰台、メダルを目指すと公言しておきながら、「完敗だった」「足りなかった」と潔く負けや自分たちの至らなさを認める言及もなく、「選手は頑張った」「成長していかないといけない」という自分の責任はないかのよう聞こえてしまうコメントは代表監督として正しいのか、疑問を持ちます。(同じようなことは高倉監督にも言えますが)何も感情もこもらず、国民、サッカーファンに向けての言葉とは思えませんでした。皮肉にも負けたことを認めるコメントが吉田や久保から出てきたこともガゼッタさまの見立ての正しさを現しているかと存じます。傍観者、いや解説者のようなコメントが出ているようではW杯でもまた同じ失敗をするだろうな、そんなことを思いました。
いつぞや仰っておられましたが、長谷部あたりが監督になるまでは、こういう負けの繰り返しが続くのかもしれません。(とても寂しいですが)研究され、対策されることの恐ろしさとそれへの対応ができる人が指導者にならない限り難しい、そう思います。(柔道の井上監督のように)
スペインがうまいとか、メキシコの気持ちの強さとか久保の涙とか、そんなことが話題をさらうようでは、明るくありません。もしかしたらブラジルのマラカナンの悲劇を見たブラジル国民も似たようなことを思ったのかもしれません。(彼らもそれまでの「ブラジル流」が通じないことを思い知らされた)
メンタル的に拒否している部分と、そのベースとして「外国人監督の要求する普通レベルの個人戦術が身についていない」という点があるような気がします。なので、そこをアジャストできない監督だとチーム戦術の浸透も上手くできないし、選手の側の拒否感も大きくなってしまうという https://t.co/d9yJQROLk3
— kettosee (@kettosee) August 8, 2021
ケット・シーさんも言及していますが、いわゆる”戦術嫌い”は日本選手の長年に渡る宿痾でもあります。育成段階ではドリブルなど練習のための練習を教える事に終始、サッカーがチームスポーツである事を軽視している影響でしょう。
日本が負けたスペインですが、こんな記事もあります。
田中碧が感じた「世界との差」…個人プレーに罰を与えるスペインの「サッカー教育」(現代ビジネス)
『スペインの指導者はもちろん、保護者も含むサッカー少年の周りにいる大人たちは、サッカーが「集団のスポーツなのだ」という部分をすごく重んじています。子どもが個人プレーに走ったら、次の試合の出場時間を減らすといった罰がチーム内のルールとしてあるくらいです。』
ラテンの選手は往々にして個人プレイに走りがちというイメージとは正反対ですよね。日本選手はプレイが利他的と言われますが、それはチームプレイをしているというより責任逃れのように見えます。逆に責任感を持ってしまうと、久保と堂安、香川と本田のように、チームに還元されず2人だけでサッカーをするドツボに入るのが日本。
むしろ欧州では普通なトルシエやハリルホジッチにアレルギーを発症、「ジャパンズウェイ」などというガラパゴス的放任・無責任主義に頼っているうちは、日本が世界で結果を出すのは難しいと思います。