2002年12月24日

・山本備忘録

昨日コラムで書いてしまった責任もあるので、今日読んでみた。

トロネイさんからのメールにも、

>確か山本コーチは、W杯前から本を出さないかといわれていたそうなのですが、
>出版社としては、W杯の熱気が収まらない内に出したいけど、山本コーチが自分
>で書きたいからといったために、ここまで発売が遅れたと言うことのようです。
>実際に9月発売とか出てるのも見たことありますし。
>ちなみに岡ちゃん本も同様に、ゴースト拒否したので、
>こんな時期になったそうです。

とある通り、山本氏自身の意向がかなり反映されていると思わせるに十分な内容だった。昨日読まずに憶測だけで出自の疑いを書いてしまった事を反省。まだ精神が電波によるダークサイドから戻りきれていなかったようで。自戒を込めて題名を「邪推」と書き直す事にする(笑)。

しかし、実際に読んでみると想像よりもさらに陰鬱な気分になった。「山本さん、こんな本を書くために貴重な五輪代表強化のための時間を費やしたのですか」と。本もかなりページ数は多く、やはり自分で書く時間があったのかと言う疑念はぬぐえないのだけれど。

大まかな流れとしては、トルシエのわがままとプライドと奇行に氏始め、選手が振り回されつづけ、やがてその振る舞いにも選手が慣れて成長し、「トルシエを無視して」フラット3の修正を自分達でやれるようにまでなった事を喜び、トルコ戦のメンバーを独断で決めた事や中田を嫉妬で交代させようとした事にあきれ、勝てない相手じゃなかったと愚痴を吐いて終わると言った感じであった。トルシエの良さも書いてはいるんだけど、全体のネガティブな論調に消されている。

もちろん、トルシエがエキセントリックであった事は否定するつもりは無いし、選手との間に入った氏の苦労は筆舌に尽くしがたいものはあっただろう。トルコ戦の起用や采配も結果論から見ればトルシエの失敗なのは確かだ。

だが、最近のトルコ戦にまつわるネット上の戦術的な議論である、ラインを低くした事に対する攻撃面への影響と言う点では、何も考察が示されていなかった。攻守一体が基本のサッカーと言うスポーツにおいて、現役監督の文章としてはあまりにお粗末である。

さらに、中田外しを嫉妬と切り捨ててしまっているが、私見としてはW杯のときの中田は怪我や体調の影響もあったのかもしれないが、ポーランド戦で見せたようなオートマティックな激しい守備からの飛び出しと言う役割ではなく、五輪やイタリア戦のように自分が基点となって一発で攻撃を切り開こうとする欲を持ちすぎていたように思う。

選手がチーム戦術として望む役割を果たしていない場合、監督として外す選択は当然の事であって、それを「中田は立派でプロだから」と言う理由で嫉妬と言う思考停止になってしまっているのは非常に残念である。トルシエの傍にいたせいでダークサイドに行ったのも仕方ない面はあるのだろうが(笑)。

ともあれこの本によって、今度は五輪代表監督となった氏自身の結果と内容がより問われる事になったのは確かだろう。コーチとして選手に近い側で書かれた意見が、トルシエと同じ立場になった事でどう生かされ変化するのか。1年半後に注目である。


サッカーコラムマガジン「蹴閑ガゼッタ」