2002年12月25日

・レッジーナとフラット3

ポジションを低く取りたがるバルガス先生がいるせいかローマ戦の後遺症なのか、前半は中盤スカスカのラインもバラバラで、おいおいディカーニオ何やってんだと思っていたら当然のごとくピアチェンツァが先制。

しかし後半は戦術的にはやはり統制は取れていないものの、約1名を除いて(笑)見違えるように選手個々の前へ向かう姿勢が激しくなり、執拗なサイド攻撃から中山3号の中山らしいゴール2発。レッジーナに初めてプロビンチアの魂を見た試合だった。やはりセリエのホームはこうでないと。

中村は前半どフリーのシュートをキーパーにぶち当ててからは消極的な姿勢が目立つようになり、ボランチに入って全員が前に行った後半はほとんど存在せず。まあ中田もローマダービーでは一人蚊帳の外だったし、全員アドレナリン全開状態に乗るってのは日本人にはなかなか難しいんだろうね。

しかし、この試合やフェイエの試合、そしてJ1残留を決めた神戸の試合を見ても、試合を勝ち切るにはいかに全員が攻撃的な姿勢を持つかが重要なのだと思い知らされる。かたや日本では、昨日の山本本や沢木始め、「失点されてもラインを上げろと無茶を言うトルシエを無視してフラット3を放棄して守り抜いたヒーロー宮本」である。

トルシエがレキップ紙(だったと思う)インタビューで「あれはフラット3じゃない」と発言したり、「無視」という言葉の響きだけで、電波メディアどもが監督の敗北、選手の勝利とはしゃぎ回っているようだが、トルシエが望んだのはただ機械的なラインの上げ下げのフラット3と言う「戦術」を守る事では無く、フラット3と言う名の「攻撃的姿勢」ではなかったか。だからこそ、フラット3を捨てたうんぬんの解釈が各自バラバラになっているのではないか。

フラット3をトルシエ自身がキャッチフレーズとして呼んだ以上仕方ない面はあるのだろうが、それが単なる1戦術、1決まり事としての意味にしか取られていない今の日本の状態は、とても不幸な事ではないだろうかと思う。


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