2002年12月12日

・個と戦術

さてサッカー批評の西部&後藤記事であるが、論旨としては、トルシエのような「己の戦術を叩き込んで世界で戦えるように鍛える」方法から「コモンセンスのある成熟した選手を選んで適切に配置する」というセレクタタイプであるジーコでうまく行くのかどうかと言う事で共通しているように見える。

しかしスタンスとしては、後藤氏はジャマイカ戦などを見て選手がまだそこまでの能力が無いのではと危惧し、コンフェデまでにどう戦術で対策していくのかを見極めるといった懐疑論であるのに対し、西部氏はジーコのサッカーを見る眼、カリスマ、渉外能力によってセレクタタイプの監督が成功する可能性を見てみたいという楽観論と言う違いを見せていた。ただ西部氏が、そういう大人のチームが出来たならドイツ大会予選で失敗してもジーコを責めたくないと言う感じの文章を最後に書いていたのは、ちょっと拙速にもほどがあるんじゃないかとは思った。はっきり言って、予選で失敗なんぞしようもんなら神様だって国賊だぞ。そこまでジーコが好きなのか、その他大勢のように私情でペンを曲げてないだけで、よほどトルシエに腹を据えかねていたのか(笑)。

私自身はここで度々書いているように、もちろん後藤氏の立場に近い。

その理由の1つは、ジャマイカ戦を見ずとも欧州への移籍人数や移籍後の活躍状況を見ても、どこのチームでやっていけると太鼓判を押せそうなのが未だ中田1人である事だ。高原がドイツ行きになる事はどうやら確実なようだが、少なくともチームの中心としてやっている選手が各ポジションにあと2、3人は欲しい。と言ってもDFは移籍が難しいだろうから、五輪やコンフェデなどのタイトルのかかった大会で安定した守備が「個人として」出来るようになる事。これがあと3年で実現できれば、西部氏の夢見るチームになるかもしれない。が、残念ながら私はそこまでオプティミストでは無い。

もう1つは、セレクタ型チームの将来性である。それぞれのチームの練習を直接見たわけじゃないので断言は出来ないが、このタイプでの成功例はおそらくレアルマドリードとブラジル代表であろう。だが、この2チームにはフィーゴ・ジダン・ラウルそして3Rと言う別格なプレイヤーの存在があり、彼らはほっといてもボールキープするし点を取ってくれるので、あとは1対1に強いDFと汗かきのボランチを置いておけば何とかなる。これが日本だと汗かきボランチといんちきファンタジスタぐらいは何とか、と言うのが関の山だろう。

それに、W杯を見ても個人能力に優れ、暑さに強いはずのアフリカ勢はセネガル以外全て1次リーグで敗退している。その代わり、トーナメントに残ったのは強豪国以外ではどこも戦術的に統制の取れたチームばかりであった。前号のサッカー批評だったか、次期サンフレッチェ監督の小野氏がW杯でのハーフカウンターチームの台頭を指摘していたが、それは高いラインと組織的なプレス無くしては不可能なものである。今でこそレアルやブラジルの成功で「個を生かすための戦術」の復権が叫ばれているが、これからはミランやアーセナルがその片鱗を見せているように、たとえ強豪国であってもクラブやW杯の中堅国のように、組織化された「戦術も個も生かすサッカー」が実現できないと勝てない時代がやって来ているように思う。

果たして、ジーコの「サッカーを見る眼」には、3年後の世界がどのように写っているのだろうか。


サッカーコラムマガジン「蹴閑ガゼッタ」