2003年6月12日

・キリンカップ 日本-パラグアイ(0-0)

パラグアイの二軍相手の試合という条件を考えれば、何とも評価をしかねる試合であった。

日本は宮本のラインディフェンスによるコンパクトな布陣から分厚い攻めを見せたのだが、パラグアイが混乱していた前半早々の時間帯のチャンス以降はパラグアイが完全に引いてしまい、大久保のギリギリオフサイドとなったヘディングシュート以外はほとんど決定的なチャンスを作れなかった。

しかも、あれだけ攻めさせてもらった割にはサイドを使った攻撃があまり無く、真ん中でのワンツーで守備網を破る以外に崩しの形が見られなかった。FWについても、いったんサイドに開いてからのチャンスメイクの意図はあったが、ゴール前での工夫が無くて崩すまでには行かなかった。

守備については、相手がほとんど攻めて来ず、宮本と坪井が危険に感じる場面というものがほとんど無くて何も評価が出来ない。三都主の1対1が案の定やばいというのは分かったが・・・

また、ボランチ陣については前半に福西がゴール前に突っ込んできた場面以外に前線に飛び出す動きが無く、中田コが入った後半は遠藤が疲れたこともあって攻守ともに中途半端な存在になってしまった。やはり、ここに戸田のような潰し屋と稲本のようなダイナミズムを与える役割といったメリハリの利いたコンビにした方がいいように思う。

采配についても潰し屋の役割だった福西を下げて中田コ、疲れた遠藤を変えずに終盤プレス無し状態になっても何を手を打たなかったのも疑問。相手が攻める気があったなら相当やられていたはず。

まあ何にせよ、相手との力関係もあるが今までの試合の中では最も内容が良かったのも確かで、ボランチの人選や右サイドの機能不全を解消した上で、もう一度強い相手とやって欲しいように思った。

しかし、本来こういうトライは去年のうちに行っておくべきものであって、次が本番のコンフェデになってしまうというのが本当に残念でならない。つくづく、アルゼンチン戦の前半までの時間を無駄にしてしまった。

●採点

  • 楢崎 5.5 ほとんど出番が無くて集中が切れたのか、一度危ないファンブルをやってしまった。
  • 山田 5 守備では足の速さを見せたが、攻撃にかかわる場面はほとんど無し。上がった場面も判断が遅くてあまり意味が無かった。
  • 坪井 6 初出場としてはまずまずだった。判断が悪い場面もあったが今回そこまで言うのは酷だろう。
  • 宮本 6 ハイボールにとまどう場面もあったが、フィードは正確で攻撃の起点だった。
  • 三都主 6 攻守ともに危険な存在(笑)。ほとんどSBじゃなくてWBだったが。服部との使い分けのオプションとしての可能性はあった。
  • 中田 5.5 試合で最も走っていた男なのは間違いないが、攻撃面では役に立てず。
  • 福西 6 判断が遅くて危ない取られ方をした場面もあったが、全体的にはまずまずの出来。あまり中田コに変える意味を感じなかった。
  • 遠藤 5.5 パスの散らし役としては機能していたが、たまに緩いパスがあったりするのはいただけない。後半は完全にペースダウン。
  • 中田コ 5 後半から出てきたのにもかからわずチームを活性化させる事が出来なかった。売りのパスも低調。
  • 中村 6.5 彼一人だけが危険なパスの出し手だった。守備意識の高さはイタリア修行の成果か。欲を言えばもっとシンプルにやって欲しいが。
  • 高原 5 コンディションが悪いのか、動きに切れが無くトラップや判断も悪かった。意気込みだけはあったようだが。
  • 大久保 6.5 動きとしては文句のつけようが無い。後は相方とのコンビネーションや海外のレベルの高いDFとの経験だろう、と言えるほどのエースになってしまった。情けない事だが。

・ジーコはいったい何に満足したのか

パラグアイ戦後のインタビューでジーコは内容に満足していると語ったが、多くの人はホームで二軍相手に引き分けて何が満足なのかといぶかしく思ったはずである。しかし、個人的にはもっと違う部分でジーコが満足の意を表明した事が不思議でならなかった。

昨日の日本代表で目に付いた部分を列挙してみよう。

これから見える事は、技術のある選手がバックラインからしっかりトライアングルパスを回して崩すポゼッションサッカーではなく、早いタイミングでフィードを中盤に当て、そこからサイドに開いたFWに展開するかワンツーで裏に抜けるかといった、相手の守備が整うまでにシュートへ持っていくスピードサッカーをやろうとしていた事である。

それはおそらく中田の指示によるものだと思われるが、ジーコも「前にいけないときは、細かくつないでサイドを変えてみたり、トライアングルでじっくり崩したりしてみないと」と試合後インタビューの中で発言があったように、ポゼッションサッカーという理想と良い内容という現実に対する戸惑いが見えてしまっている。

ジーコは選手に自由を与えて創造力に期待したのだろうが、その結果自主的に生まれてきたものが82年ブラジルではなくて典型的な現代サッカーなのだとしたら、ジーコを監督に据えた事に対するこれ以上の皮肉は無いだろう。

日韓戦、アルゼンチン戦の前後半、そしてパラグアイ戦と、メンバーも戦術も全くバラバラな表情を見せてしまった日本代表に対し、ジーコはどういう選択でコンフェデに向かおうとしているのか。

ジーコの満足と言う言葉からはまだ何も見えて来ない。


サッカーコラムマガジン「蹴閑ガゼッタ」