2002年12月6日

・Football Nipponを読んで

ちょっと発売されて遅いけど、Football Nipponという雑誌を読んだ。この本についてはもう話題になって久しいのであんまり詳しくは感想を書かないけど、やっぱり世間のコンセンサスとしては、「トルシエに逆らってフラット3を自主的に捨てた宮本のおかげで決勝トーナメントに進出できた」のと、「トルコ戦で何も手を打てなかったトルシエが一番の戦犯」になっているんだろうか。それも昔はサッカー記事に定評のあった日経の記者による文章なんだから、よほど根深いんだろうなあ。

だいたい、現代サッカーにおいてコンパクトフィールド&プレッシングが出来なければ勝てないと、レッジーナやパルマの変貌を見ていれば分かりそうなものなのに、裏を取られる危険があるからラインを下げた事が攻撃チャンスを減らし、結果としてトルコ戦で点を取る可能性が減ってしまったいうのが何故結びつかないのだろうか。まあだからと言ってトルシエの選手交代はミスだったのは否定しないけどね、しかし本質はそこじゃない。

フェアプレイ賞の話が出たついでに(笑)韓国の戦いについて考えると、確かに審判の助けやベンゲル言うところの「不思議な薬」の力はあったにせよ、ボールを奪ったら逆サイドが全速で上がる、相手サイドに入ったらどちらかのサイドがいっぱいに開いてボールを受ける、1対1になったら勝負を仕掛ける、ゴール前にはサイドかボランチが詰める、守備では相手のFWのマークを外さずカバーが戻るまで耐えるという約束事を徹底してやり抜いた。ひたすらスピードと運動量で数的優位を作る戦術だが、そこまでリスクを侵したからこそ勝つ可能性が生まれたのだ。これがもし、ホンミョンボが「疲れてしまってこのままではマークしきれない、攻めあがる人数を減らそう」と決断していたら勝てただろうか。

それを日本が出来なかったのはトルシエよりヒディンクの戦術が優れていたから? フラット3が無謀な戦術だったから? そうじゃない。ラインをガンガン上げてもボランチや最終ラインが2列目に対するケアを怠らないのは、ライン戦術を取るチームの常識である。ただ、韓国は運動量と言う点で、日本は2列目の飛び出しに対する判断と注意力と言う点で、自分たちの能力を信じたかどうかの違いなのだ。アグレッシブなライン戦術を遂行し切れなかった日本が、組織を否定し自由なサッカーを肯定するこの中途半端。

このインタビューで、宮本はトルコ戦の最後でもっと攻撃的な手段を取るべきだったと言っていたが、残念な発言である。2戦目にして早くも「負けないこと」を選んだ人間が、トルコ戦の最後で急に勝つことを優先しても、神様は決してほほえんではくれないだろう。

ブラジル戦を見ても、今の韓国には最後まで信じて出た結果に対する自信があふれていた。日本はアルゼンチン戦で、一体何の自信を見せたのだろうか。

注)これについての戦術的な考証についてはリンクさせていただいているケット・シーさんのサイトで詳しく述べられているのでそちらを見ていただきたい。私が書いても質的に数段落ちてしまうので(笑)。


サッカーコラムマガジン「蹴閑ガゼッタ」