2003年3月19日

・「10年後のビジョン」-フットボールカンファレンスを見て-

フットボールカンファレンスの放送をようやく見終わった。モットラム氏の審判についての講演はともかくとして、おおよその内容としては、現代サッカーの特徴を理解して、世界に通用する選手を育成するというものだったと言える。カンファレンスでの田嶋氏とUEFAテクニカルディレクターのロクスブルグ氏の講演については、BSBのコラムページに詳しいのでそちらを参照して欲しい。

その中で、現代サッカーの特徴として挙げられていたものをまとめるとだいたい以下のような要点であった。

これだけ見ると、第一に組織で、選手には個性よりも欠点が無い事とアスリート性能が求められているのではないかと思いたくなる。実際、イタリアで猛威を奮っているキエーボの戦い方を見ても、プレスから中盤はダイレクトにつなぎ、サイドへ素早く出してクロスという攻撃が徹底されているし、サイドやFWの選手はとにかくDFラインの裏へ抜け出すスピードが無いと話にならない状況になっている。

では、今後ますますこのような状況が進化し、サッカーと言うスポーツはスピードとフィジカルだけの選手が超高速で左右に走り回るピンボールのようなものになってしまうのだろうか。

だが個人的には、その方向性にも限界が来ると思っている。あれだけ組織で強さを見せるキエーボも、パルマ戦のように1人が退場して組織に穴が開いてしまうと、とたんに大敗を喫してしまうように、スピードと組織に頼ったプレスサッカーは不測の事態にもろい一面がある。

また疲労の問題も見逃せない。激しいプレスというのは90分間は絶対に持たない。必ずどこかでコンパクトさというものが失われてしまう。欧州リーグや代表戦などでスケジュールが過密を極めるビッグクラブでは、選手の組み合わせを試合毎に変えるいわゆるターンオーバーで対応しようとしているが、出場機会が減ってしまう選手の不満は多くなってチームの雰囲気は悪化するし、試合自体もコンビネーション不足からあまり結果がうまくいかない事も多い。

つまり、現代ではスピードとダイレクトプレイが重要であるにもかからわず、それに頼ったサッカーというのは、90分の試合の中でもシーズンを通しても完遂するのは難しいと言う矛盾をはらんでしまっているのだ。このままこの風潮がエスカレートして行けば、今のサッカー界でもぼつぼつ出はじめている問題だが、自転車ロードレース界のようにドーピングで自滅の道を歩んでしまうだろう。

では、今後どういうサッカーが求められるのか。それはレアルマドリードやミランが完成しつつあるような、サイドをうまく使ったポゼッションサッカーなのではないかと私は思っている。

今のサッカーでは真ん中には「サッカー」をする余地が無いので、サイドからの攻撃の有効性が高い事は明白である。しかしそれは守備面でも同じで、サイドの上がったスペースを突かれてのピンチも逆に増えてしまう。そうなると、互いにカウンターの場面が増えて選手が疲弊してしまう事になる。これを防ぐには、サイドにボールを集めつつもボールを奪われない事が望ましい。となるとサイドにはスピードはもちろんだが何よりボールをキープし、1対1を無力化できるテクニックとスキルが要求されるわけだ。

レアルのジダンとフィーゴが良い例で、彼らには特別なスピードは無いが、対人での絶対的な能力がある。だからこそレアルはカウンターに頼らずとも攻撃を構築できるのだ。しかし、彼らとて2、3人に囲まれてしまったのではさすがにボールを奪われる。となると、サイドに人が集まらないうちにボールを渡したい。そこで、中村やピルロが担っている役割、つまりピボーテの出番となる。プレス戦術はプレスを仕掛けている反対側のスペースが広く空くので、そのフリーのサイドに正確で早いサイドチェンジパスを出せれば、常に数的不利にならずにサイドの戦いを仕掛けられるようになる。そして、サイドからのクロスとプレッシャーの強い中盤でのシンプルなパス回しを生かすための、ポストプレイとヘディングに強いFW。最後のFWだけはややフィジカル指向になってしまうが、このテクニカルな3人+FWによって結ばれるひし形のラインを攻撃のベースとして、それに組織的でコンパクトな守備を付加した形になってくるのではないだろうか。

と、こう書いてきて気づいたのだが、実は上の考えの中で、サイドを中村、ピボーテを森岡と中田コ、FWを西澤か鈴木に置き換えてみれば、アジアカップ以前の日本代表に非常に近いのである。結局、世界の舞台では選手の能力的にアジア相手のように中盤の支配力を維持する事が出来なかったために、W杯本番ではハーフカウンターチームになってしまったトルシエジャパンだが、スタート段階ではポゼッションの思想が色濃く反映されたサッカーを目指していたのには改めて驚かされる。

とは言え、今更トルシエのビジョンは素晴らしいなどと言うつもりは無くて、それまでアフリカ諸国をどさ回りしていた、キャリアの浅いアジアの辺境国の代表監督でさえ、4年前にこういうビジョンを考えていたと言う事実である。従って、それはトルシエが学んでいたクレール・フォンテーヌ、つまり国立サッカー学院監督学校でも理論的に検討されていたと考えるのが妥当だろうし、当然ユース年代のトレーニングにも先を見据えた強化がなされていると見るべきであろう。

しかし、それも考えてみれば当然の事で、10代前半でサッカー選手としてのベースは出来上がってしまうという事実を考えれば、彼らが選手としてのピークを迎えるのは10年後である。つまり、今のサッカーを見て10年後のサッカービジョンを形作り、それを実現する能力が無ければ、本当のサッカー強国になる事は出来ないのだろう。

私が上にせこせこ書いたような意見も、せいぜいあと2、3年後ぐらいの話に過ぎないのであって、専門家に聞けば「古すぎる」と鼻で笑われてしまう程度のものなんだろう。しかし、それはサッカーが学問だとすれば、ごく当たり前の事なのだ。

それを踏まえて日本を見た場合、カンファレンスでの田嶋技術委員長の講演を見る限りでは、トルシエのウェーブや対人練習をしないオートマティズムのための練習をようやく理解し、2002年W杯から世界のサッカーをカウンターとスピードであると分析し、これからは個の能力を伸ばす事と宣言しているだけで、「10年後のビジョン」らしき物は全く示されていないのである。これで本当にサッカー先進国に追いつけるのだろうかと不安になる。

もっとも、少し前まで「フィジカルコンタクトを避けるためにワンタッチで早くパスを回せる人材を」というような、トルシエに非現実的と軽く否定されてしまうような強化方針だったのだから、現状認識が出来るようになっただけでもマシと思わないといけないのかもしれないが、仮にも「技術委員会」と名を付けている組織なのだから、くれぐれも分析だけで満足して欲しくないものである。


サッカーコラムマガジン「蹴閑ガゼッタ」