2004年3月4日

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「レアル・マドリー」

フィル・ポール著 ネコ・パブリッシング

スペインサッカーの深部を余すところ無く解き明かした快著、「レアルとバルサ」をものしたフィル・ポールが、今度はレアル・マドリーのみに絞って、その歴史や背景について焦点を当てた本である。

レアル・マドリーと言えば、現在世界最高の選手ばかりを集めたドリームチームであり、チャンピオンズカップを9回も獲得するという並ぶ者の無い実績を積み上げ、「20世紀最高のクラブ」という称号をFIFAから公式に授かった、名実共に世界ナンバーワンのクラブである事は今更言うまでもない。では、それはいつからで、どんな理由によって可能となったのかを説明出来る人は少ないだろう。著者はこの本の中で、(明確にでは無いが)3つのポイントを指摘している。

1つ目はディ・ステファノの登場である。私自身、そのプレイの映像を見たことが無いので実感は不可能であるが、人によってはマラドーナやペレよりも高く評価される選手であり、サポーターが選ぶ歴代選手の不動のナンバーワンであるところを見ても、それまでバルセロナやビルバオの後塵を拝することが多かったレアルが常勝軍団と化する結果となったのは納得できる。しかし、その実力よりもさらに重要だったのは、レアルが計略によって契約がほぼ決まっていたバルサを出し抜いてディ・ステファノを入団させたという事実である。サッカーと面子の両面でライバルを完膚なきまでに叩きのめした事が、その後のレアルの立場を決める大きなきっかけになったのは間違い無い。

そして2つ目は、ディ・ステファノ移籍を陰で操った、亡くなった今ではスタジアムの名前として広く知られる、サンチャゴ・ベルナベウである。彼はまだよちよち歩きだったクラブに、銀行から有利な融資を取り付けてスタジアムを建設し、ディ・ステファノを代表として、誰よりも早く名選手を見抜いて獲得する力を持ち、さらにそうした過去のOBを監督やクラブ首脳として雇う事でクラブの伝統と忠誠心を鍛え上げてきたのである。

最後の3つ目は、こうした「情け容赦なく常に相手を叩きのめす」「常勝にして最強」というスペイン独特の、「マドリディズモ」という概念である。残念ながら、本書では何故マドリードでこのマドリディズモが強く醸成されたかをはっきり定義していない。労働者よりも中産階級が多かった市民の階級意識のせいかもしれないし、首都に住むと言う自覚のせいなのかもしれない。

ちょっと待てよ、と思う。確か、レアルはスペイン内戦後に独裁者フランコ将軍の寵愛を受け、それによってバルセロナやバスクの恨みを買ったんじゃなかったっけ? それがマドリディズモの主な理由なのでは?

だがこの本を読めば、実はそれは全く逆なのだと分かる。確かにフランコとの蜜月を隠そうとしなかった事で、多少の金銭的便宜ももらえただろうし、今では当たり前の「政府のクラブ」というイメージを獲得できたのかもしれない。しかし、それはあくまでフランコにとってレアルの「最強」を目指す姿勢と実力が、彼の立場を強める事に気付いたからに過ぎないのだ。

「ヨーロッパの人々の生活はサッカーを中心に回っている」とは良く聞く言葉だが、恐ろしい事にスペインでは「政治や社会はサッカーを中心に回っている」のである。極東の島国でマスコミに虐げられているサッカーしか知らない私たちには到底理解出来そうも無い世界である。

いや、頭で理解しようとするからだめなのかもしれない。今、テレビの画面の中で、荘厳な祭壇とも言えるサンチャゴ・ベルナベウに迷い込んだ哀れな子羊達を、ロナウドやジダンと言った全能の司祭達が華麗にかつ容赦なく虐殺する姿こそが、「マドリディズモ」の体現であり、権力に取り付かれた者が欲して止まないスーパーパワーなのだ。ベッカムがそれを理解してるかどうかは分からないけれども。

レアル・マドリー フィル・ポール著 ネコ・パブリッシング


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