2003年3月21日

cover

「バルサとレアル」

フィル・ポール著 NHK出版

この本は「バルサとレアル」という本名が付けられているが、原題は「MORBO」という聞きなれない名前が付けられている。

その通り、この本は「モルボ」というスペイン特有の、歴史や民族、階級意識などの様々な要素によって醸成された地域間の対立意識--著者は説明できない言葉だとしているが--とサッカーが双子のようにぴったりと結び付きあっているスペインの内情を鋭く描ききった快作である。

我々がスペインのサッカーと社会について知っている事と言えば、攻撃的でテクニカルなサッカー、クラブの栄光と代表チームの不振、レアルとバルサの2大ビッククラブの対立、アスレティック・ビルバオのようなバスク純血チームの存在、フランコと内戦の時代、バスクの独立テロなどであろう。

そして、スペインではバスクとカタルーニャ(バルセロナを含む地方)が特別民族意識が高く、フランコ時代の弾圧によって体制派の象徴だったレアル・マドリードとの競争意識になり、それが代表チームの結束の欠如につながり、国際試合で結果が残せない原因だという我々の「常識」になっている。

しかし著者はそのステロタイプな「常識」をあっさりと否定し、スペイン特有の出自に対するこだわり、いわゆる「プエブロ」が「モルボ」の全ての根源だと看破する。

プエブロは一般的な出身地や民族的血縁だけでなく社会的階層や体制にまで及ぶものなのだが、その定義もまた説明しにくい。あえて言うなら「敵か味方か」という言い方の方がしっくり来るだろう。

例えば、あのヨハン・クライフについてだが、彼はカタルーニャに住んではいるがカタルーニャ語はしゃべれないし、カタルーニャ人との血の交わりも無い。しかし彼は今やバルサの象徴である。それは単にバルサでプレイし監督になっただけで勝ち取ったものではなく、まず選手としての移籍のときに「ファシスト」の庇護にあったレアルには入らないとはっきりと公言し、そして監督として「華麗で美しいサッカー」でレアルを打ち倒して栄光に輝いたからこそ象徴として認められたのである。つまり、まず味方であるとはっきりプエブロを表し、そして最大の敵を倒したというモルボ的満足を与えたという意味で二重に価値のある存在だったのだ。

さらにプエブロは人についてだけでは無い。スペインサッカー発祥の地をめぐるレクレアティーボとアスレティック・ビルバオのこだわりや、アトレティコ・マドリードとエスパニョールのようなレアルとバルサというビッグクラブの社会的対立概念としての存在。さらにはスペインにサッカークラブを作る礎となった、イングランドの資本家やそのモデルとなったクラブに対する、ユニフォームカラーの模倣などに見られる不思議な忠誠など、クラブそのものにもまたプエブロが不可欠だったりする。

もちろんプエブロとモルボがサッカーの盛り上がりにプラスの作用をもたらすのは確かだが、スペインでは過剰ゆえのマイナスもまた激しい。クラブやその会長を取り巻く金銭的なスキャンダルとそのもみ消し、最近ではフィーゴに代表される選手移籍に関する騒動、そして絶え間ない審判の不思議な判定、いつもふがいない成績に終わる代表への自信過剰と失望。しかし、それさえもまたモルボの燃料として再利用され、人々の生きる糧になって行く。ひたすら自家中毒を繰り返すこの限りなきマッチポンプ。

何故、スペイン人は自分自身を食い尽くしてしまうほどプエブロに執着し、モルボを麻薬のように求めつづけるのであろうか。そこまでは著者も考察をしようとしていない。それはおそらく、著者はもちろん当のスペイン人にも分からない事なのだろう。

確かな事があるとすれば、それこそがスペインサッカーのアイデンティティであり、その破滅と隣り合わせの刹那的な美しさが、次々に男を惹き入れる魔女のように、スペイン人だけではなく全世界の人を魅惑しつづけていると言う事だ。

スペインサッカーを理解しようと思ってこの本を読んだのにもかからわず、ますます混乱してきて余計に真髄に触れたくなった私もまた、その魔力に魅入られて始めている哀れな男なのかもしれない。

「バルサとレアル」 フィル・ポール著 NHK出版 


サッカーコラムマガジン「蹴閑ガゼッタ」