「日本サッカー史・代表編」後藤健生著 双葉社 |
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2年以上の時間をかけて書かれた、1917年から2002年までの日本代表の対外試合の結果や強化方法、その分析を余すところ無く書ききった、大御所後藤健生氏による大作である。
別にとりたててストーリーめいたものがあるわけでは無く、一見ただの歴史教科書のようでもあるが、読んでいると奇妙な既視感を感じてくる。「これは、つい最近もあったような話だよな」と。
つまり、この右肩上がりの成長で今や「誰が監督をやっても16強になれた」とまで言われるほど強くなった(笑)日本サッカーが、実は根本的な部分では今も昔も全く変わっていない事に気付くのである。全く「歴史が全てを物語る」とは良く言った言葉だ。
この本に書かれている中からそのポイントを挙げてみる。
・日本のサッカースタイル
この本でははっきりと、大正12年の日本サッカー黎明期から日本は運動量を生かした組織的なショートパスサッカーをしていたと書かれている。それは岡田ジャパンやトルシエジャパン、そして今になっても変わらない。良く金子などの「評論家」が使う「日本にはまだサッカースタイルが無い」といったレトリックは言うまでも無く大嘘なのである。
・得点力不足
一連の歴史の中で際立っている点は、釜本邦茂という不世出のFWがいた頃の日本の成績と、その前後の成績の落差である。これを見てもいかにサッカーというスポーツが、一人の点取り屋の存在によって結果が左右されるものなのかという事と、昔から得点力不足には悩まされ続けているんだという事が分かる。やはりこれも、中盤しか点が取れない現在と課題は何一つ変わらない。
・協会の方針の一貫性の無さ
まだファンの記憶に新しいジーコジャパン決定の経緯やトルシエの解任騒動、ちょっと前では加茂監督の電撃解任やネルシーニョの「腐ったみかん」発言などに見られるおなじみの協会の迷走だが、オフト時代には当時の強化委員長であった(現)カピタンに最初はまるで信用されていずテスト同然で体制がスタートした事、奥寺や尾崎などのドイツへ渡った海外組を呼ばない実行力の無さ、何か強化がうまく行った時と言えばクラマー氏やトルシエのようなたまたま知識も無しに呼んだ外国人の努力のおかげと、Jリーグの創設以外に何ら明確なビジョンに基づいた強化がなされていない事、そして世界のサッカー情勢に対する知識の無さに改めて驚かされる。もちろんそれは今も・・・(笑)
・国内の親善試合の意義
結構意外なのが、かなりの昔から日本に外国のクラブチームを呼んで親善試合をする機会が多かった事である。しかも、フェイエノールトやコヴェントリーなどに勝った事もあったりする。しかし、そういう事があってもやっぱり日本はアジア相手のW杯1次予選ですら負けつづけていたわけで、現在は移動環境が良くなったとは言え、いかにホームでの親善試合というものが直接の強化につながらないかが良く分かる。対照的に、日本がアウェイで欧州のナショナルチームを破ったのは実に1973年の対アイスランドと、記憶に新しい2002年対ポーランドのみである。これではアウェイのレッジーナを日本は笑えない。
歴史に関することわざにもう一つ、「歴史は繰り返す」というフレーズがある。日本サッカーを取り巻く環境は明らかに向上しているとは言え、「釜本後」の歴史が証明しているように、現在の強さに酔った対応をしていると、没落するのはあっという間である。
Jリーグからドーハ、ドーハからアトランタ、そしてシドニー、日韓W杯と来た流れを見れば分かるように、途切れなく結果を出し続ける事こそが最高の強化なのである。それもまた、この本の歴史が教えてくれる事でもあるのだ。