「ディナモ・フットボール―国家権力とロシア・東欧のサッカー」宇都宮徹壱著 みすず書房 |
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東欧の旧社会主義国家体制における内務省(≒秘密警察)の出自を意味する「ディナモ」と名のついたサッカークラブ、その冷戦時代の神秘性と最強伝説に彩られた過去と、ベルリンの壁崩壊によるステートアマ体制消滅後の姿を通じて、旧東側社会の実像をあぶり出したルポルタージュ。
どちらかと言うとサッカー自体よりそれを取り巻く歴史や社会にスポットが当てられていて、厳密にはサッカー本とは言えないのかもしれないが、日本ではほとんど触れられる事の無い部分に対する、まさしく著者の目と足で稼いだと言える綿密な取材は、今の日本ではもはや貴重とも言える誠実なジャーナリズムの仕事を感じさせ、いろいろな場所で高い評価を受けているのは当然の出来であると言えよう。
しかし、個人的に気になる点が無いわけではない。文中に随所に挟み込まれたモノクロームの写真の効果もあるのかもしれないが、この本に描かれている旧東側諸国の情景があまりに陰鬱すぎるのだ。
例えばこんな表現がある。「東側の長ったらしい名のスタジアムは、アンバランスなまでに背の高い照明塔と、スタンドとピッチを隔てる無機質なフェンスが、心なしか監獄を想起させ、なんとも陰鬱な雰囲気が漂う」・・・おいおい、ロッテルダムのデカイプにも背の高い照明塔はあるし、レッジーナのオレステ・グラニーロやフィレンツェのアルテミオ・フランキもまんま監獄のようなフェンスじゃないのかい?と思わず突っ込んでしまう。
そう言いたくなるのも理由がある。実は、私はベルリンの壁崩壊の2年前に東欧諸国を訪れた事があるのだ。確かにポーランドや東ドイツの街を歩いてみれば、無愛想で高姿勢な官憲、画一的でどこか薄汚れた建築物、ネオンや明かりが非常に少ない夜間の街風景、寒い中を黙々と配給の行列を作る人々と、自由で華やかな西側社会から見れば、一見いかにも陰鬱そうな空気が流れている。
しかし、殺風景で品数も少ない国営食堂の中に一歩入ってみれば、どこの世界でも変わらない、笑顔で雑談に興じる食事風景があるのもまた確かなのだ。私が単なる旅行者だからと言われればそうなのかもしれないが、結局その時の印象でまず浮かぶのは、どこか懐かしい素朴で質素な雰囲気と暖かい心を持った人々であり、陰鬱で抑圧的という記憶はほとんど残っていないのである。
この本では、著者の情緒的な感性と、サッカーやそれを取り巻く関係者やサポーターに対する愛情や共感が根底にあるために、イデオロギーというタガが外れて露呈した排他的民族主義や、急激な自由化で疲弊した経済によって招いた選手流出やクラブの環境悪化など、サッカーがスポーツとして楽しまれているわけじゃない今の状況に対する悲しみと怒りのようなものが、過剰な思い入れとして文章に出てしまっているせいがあるのかもしれない。
しかし、凱旋門とシャンゼリゼの華やかなイメージが浸透している花の都パリでさえ、常時アパートの入口が鉄格子で閉ざされているような危険な地域が存在するように、社会主義であろうが自由主義であろうが、サッカースタジアムが満員であろうが閑散としてようが、どんな世界にも必ず光と影があるのだ。どちらかを描くだけでは決してその世界を捉えることは出来ない。
著者の宇都宮氏は、これからの活躍が期待される気鋭のスポーツライターであるだけに、日本では馴染みの無い世界を描く場合には、よりいっそうフラットで心象に流される事の無い表現を心がけて欲しいものだと思う。
とは言え、脳内でドラマを作り上げたエセ・スポーツノンフィクションがちまたに溢れる中で、この本があくまで真実をベースにした優れたドキュメンタリーである事には間違いない。光の部分ばかりが取り上げられる事の多い「欧州クラブシーン」を語るなら、ぜひとも押さえておいて欲しい本である。