2003年3月2日

・サッカー不条理世界の住民

この文章は、西部謙司氏の「Eat Foot おいしいサッカー生活」の書評にするつもりだったのだが、読んでるうちにいつもの思考の脱線が始まってしまったので、またコラム形式にしてしまうことにした。

西部氏の本については、以前に「サッカーがウマくなる!かもしれない本」を紹介した記事を書いた事があるのだが、いつもは本を紹介してもほとんど反応が無いのに(笑)、その時は感想を送ってくれた方や在庫切れだと連絡してくれた方、裏話などを教えてくれた方がいたりして、非常に驚いた記憶がある。また、最近でもイラストレイターの五島さんも、2/27付けのコラムでやっぱり西部氏を絶賛しておられたりする。

もちろん、私も西部氏の本を面白いと思う一人ではあるのだが、その理由としては、西部氏のサッカーに対する豊富な知識や考察、愛情などはもちろんだが、もっと深刻で根深いものがあるのではないかと思っている。

この本では、まずエリック・バッティという欧州のベテランサッカージャーナリストによる「サッカーは退歩している」との衝撃的な言葉で始まる。西部氏はその意見に対してとまどいを見せながらも考察を試みるのだが、無理に結論を出すような事はしていない。むしろ、とまどっていると言うよりも、逆説的な意見によって「進歩した現代サッカー」という風潮に波風が立って混沌とする様を面白がっているフシがある。

そして、次の章の見出しが「不条理なジダン」である。そこでは、普段はおとなしいくせに突然キレて退場したり、本人でさえ予測不可能なフェイントの例を挙げて、「そもそも、彼のプレーを解釈しようとすること自体が無駄なのだろう。それほど、ジダンはサッカー的なのだ」と結んでいる。

解釈が無駄な不条理がサッカー的?

その疑問は、この本を読むにしたがって次第に大きくなってくる。他にも、「キング」ペレの逸話や欧州と日本メディアの質の差、アフリカでの出来事、20世紀ベストイレブンなど、サッカーの話題としては常套的な例題が取り上げられているのだが、西部氏はことごとく常識的な答えを外して、あえてごちゃごちゃと混ぜっ返してみせる。まるで不条理を歓迎し、解釈を放棄しているかのようにおちゃらけてみせる。

しかしこのスタンスは、日本のスポーツジャーナリズムではかなり異質である。だいたいは、辛口ご意見番が断定口調で言い放ったり、一緒に焼き鳥屋へ行くような仲の選手のインタビューだけを元にして試合の敗因を「分析」してみせたり、はたまたルビコン川を渡らせてみせたりと(笑)、何かと原因を特定してまるで看破したかのように結論付けてしまう手法がほとんどである。

W杯で日本が敗退したあのトルコ戦について見てみても、電波マスコミやカピタンの論調は総じて「トルシエが嫉妬にとち狂って先発メンバーを変えたからだ」で不思議と統一されているが(笑)、ちょっと考えるだけでも以下ぐらいの候補を挙げられる。

さらに、CKからの失点場面だけを見ても、以下の理由が考えられてしまう。

さて、この内のどれが間違いでどれが正解なのだろう。

その通り、そんな事など誰にも分からないのである。どれも正解なのかもしれないし、誰も気が付いていないもっと違う何かの原因があったのかもしれない。

にもかからわず、我々サッカーファンは、未だにこの話題についての答えを出そうともがき続けている。こんな事は人生の無駄じゃないかと思ったりするのだが、うっかりトルコ戦のビデオなんぞ見ようものなら確実に脳細胞の半分はそちらに向けて活動してしまう。

もしかすると我々は、出口を見つけようと努力しているように見えて、実は出口が見つかる事を恐れているのではないか。何やらコラムのようなものを書いて分かったようなポーズをしていても、心の中では「サッカーってこんな浅いもんじゃないよな」と安心しているのではないか。

ちょっと待てよ、その不条理なサッカーファンが読んで喜ぶ相手が、これまた不条理を愛する西部氏では、つまりは永遠に出口の無い、救われない無限ループになってしまうのではないか。

この本の最後のほうは、トルシエサッカーに対する考察になっていて、そこでは前半とはかなり趣を変えた冷静で筋の通った批評を展開していて、実は西部氏は不条理が好きと言うのはただのポーズであって、ちゃんと出口を求めている健全な人間なのかもしれないと思ったりするのだが、良く良く見ると、以下のような恐るべき文章が書かれていて、その淡い期待は裏切られてしまう。

トルシエサッカーの面白さは解釈する面白さで、「わからない」からこそ面白いのではないだろうか。僕はトルシエのサッカーそのものには、かなり早い段階から飽きてしまっていたと書いた。なぜかといえば、トルシエのサッカーを「わかって」しまったからだ。

嗚呼、やっぱり西部さんもサッカー不条理世界の住人だったんですね!(涙)

そう、我々が西部氏の本に魅力を感じてしまうのは、例えば進学校の中での不良グループの友達のように、「同じ落ちて行く仲間同士」という救いの無い甘い誘惑に、ずるずると引きずり込まれているようなものなのかもしれない。はたまた、そこに回転車があると飛び乗ってしまうコマネズミであろうか。

どちらにせよ、救いの無い人種である事だけは間違い無さそうである。

西部氏の本を楽しく読んでしまっている貴方、一度周囲の人の、自分に対する視線に注意したほうがいいかもしれませんよ(笑)。

Eat foot―おいしいサッカー生活SOCCER CRITIQUE LIBRARY 西部謙司著 双葉社


サッカーコラムマガジン「蹴閑ガゼッタ」