2004年1月27日

cover

「ぼくのプレミア・ライフ」

ニック・ホーンビイ著 新潮文庫

「ハイ・フィディリティ」や「ABOUT A BOY」などの著作で知られ、アーセナルの熱狂的なファンであるニック・ホーンビイによる、アーセナルファンとなってから現在までの自分自身とアーセナルの歴史を綴った本である。と言うより、彼の人生の全てがアーセナルと不可分であるために、自分の歴史だけを、またアーセナルの歴史だけを書くことも彼には不可能であっただろう。

物語は、両親の離婚に直面して不幸だった少年時代の作者が、たまたま父親に連れてってもらったハイベリーで一生消す事ができない恋に落ちてしまったところから始まる。そこからは、時には他のチームに浮気をしたり、フットボールそのものから離れそうになる事はあっても、ほとんどはアーセナルと一心同体の人生が続く。その偏愛ぶりは読んでいてこちらが引いてしまうほどいささか異常ですらある。

過去全ての人生の出来事はチームの対戦相手とスコアと共に思い出され、同じチームのファンのガールフレンドという世間では滅多に得られる事の出来ない人と出会いながら、子供が出来たら夫婦交互に試合に見に行くという条件(つまり半分は試合を生で見られない)に恐怖し、大切な友達の約束より何よりホームの観戦予定を優先する。

アーセナルがそこまで人を夢中にさせる素晴らしいチームだったのかと言うとそうではない。現在のアーセナルは今さらここに書く必要も無いぐらい世界でも屈指の強豪チームとして名を馳せているが、彼が半生を共に過ごしてきたアーセナルは、今の姿とは正反対の、華麗なテクニックもパスワークも無く、ただ前に蹴っては肉弾戦を仕掛けるような、スタイルも成績もパッとしないチームであった。では、何が作者の額に一生消えない烙印を押したというのだろうか。

最初にハイベリーを訪れたときに作者が感心したのは、チームのふがいなさを心から憎む観客の姿だった。「それまでぼくが知っていたのは、カネを払って楽しみに来た観客だった。激怒や絶望やフラストレーションで顔をゆがめる人などいなかった。苦痛としての娯楽。それはぼくにとって、まさに新しいものだった。これこそ待ち望んだものだと思った」

これはある意味、サッカーの恐るべき真実を表している。考えてみればサッカーは理不尽とフラストレーションばかりだ。中盤がどんなに華麗なスルーパスを連発しても間抜けなFWが全て台無しにする。89分間完璧に機能していた守備がたった一つの凡ミスで崩れ去ってしまう。チームは楽に勝てるはずの試合に楽に勝てたためしなどほとんど無い。何かの大会で何位で終わろうと、優勝したチーム以外には罵倒の嵐が吹き荒れる。まさしく、サッカーには苦しみと憎しみが溢れている。しかしその苦しみが深く長いほど仲間との連帯は強くなり、1点を取ったときや勝利をした時のエクスタシーは大きいのだろう。

作者はアーセナルが強豪と化した本の後半で告白している。「ぼくは、フットボールのあたえてくれるみじめさを愛でるようになってしまった。(中略)ぼくはあまりに長いあいだ寒くて退屈で不幸だった。だからアーセナルの調子がいいときにははっきりと、奇妙な気分になってしまう」

そう、誰だって栄光だらけの人生なんて持ってない。毎夜の夢の中に出てくるのは後悔と不安と危機一髪の場面ばかりだ。だからこそサッカーは人生とみじめに仲がいいのだろう。ちょうど、お互い冴えないが最高に気の合う親友のように。

ぼくのプレミア・ライフ ニック・ホーンビイ著 新潮文庫


サッカーコラムマガジン「蹴閑ガゼッタ」