現実よりも夢を見させてナンボ、代表はあくまで「興行」だというのが選手も含めた日本の結論

昨日は本来なら休肝日だったのですが、ハリルホジッチ解任の報を受けてとてもシラフでは眠れそうに無かったので、心の中でハリルホジッチの慰労を兼ねて酒を飲むことにしました。

さて、田嶋会長からの「選手との溝があった」との解任理由を受けて、本当かどうかは不明ですが以下のような内情暴露記事が出ていますね。

【ハリル解任の真実】「意見言えば呼ばれなくなる」“強権政治”に選手の不満爆発寸前 : スポーツ報知

いや、まさに選手は「弱者のサッカー」ではなく「自分たちのサッカー」がやりたかったのだなと。まあ、明らかにそういう感じはしていましたけど、それで行った4年前の結末に凝りたからこそ協会はハリルホジッチにしたのだろうと思っていたので、その方針をあっさり覆してしまったのは少し意外でした。

ハリル、W杯直前の解任に専門家「日本サッカーの後退」

上記のように、ハリルホジッチとしてはW杯まで逆算して3月まではあくまでテストと位置づけ、選手選考の後でしっかりチームをまとめて一丸となって本番に臨むタイムラインを持っていたと思いますが、おそらくそのプランを選手に伝えてなかったのでしょう。そのため選手の中に疑心暗鬼ばかりが育ってしまった。

それじゃ真の競争にならないと思っていた可能性は高いですが、その点についてはハリルホジッチにぬかりがあったと言えるかもしれません。選手を抑え込む役目をキャプテンの長谷部に期待していたのかもしれませんが、長谷部はそういう強権タイプの器じゃなくて最終的には選手の総意を代表する人だというのは、ザックジャパンの時に証明されています。

とは言え、いくら選手から不満があろうとも、選手選考やピッチ上での戦術を選ぶ権利は監督のもの。選手の意見を聞くかどうかも監督が判断すべきことで、それに従わない選手は呼ばれないのは当然の話です。嫌なら招集を拒否すればいいし、受諾したなら監督に従う。それが世界におけるサッカーの常識なのは、特に欧州組には理解されていると思ったのですが、ひょっとするとそれが大きな勘違いだったのではないかと思い当たりました。

欧州組は、普段そういったサッカーの常識に従い、激しいライバルとの競争の中でやりたくもないプレイを日々強いられているからこそ、気心の知れた仲間が集う日本代表では、クラブでは出来ない「自己実現」がしたかったのだと。それが4年に1度のワールドカップならなおさら。そう考えれば、このハリルホジッチに対するクーデターは全て納得ができるのです。

「2018.4.9」 | 川島永嗣オフィシャルブログ

川島だけはちゃんとハリルホジッチを理解してくれていたのがせめてもの慰めですなあ・・・

体脂肪の話もありましたけど、やはり日本サッカーはプロではなくてアマチュア、試合に勝つことよりも選手の満足が優先される世界だというのは、骨の髄まで思い知らされましたね。そして現実よりも夢を見たい、失敗だろうが成功だろうが、4年に1度の祭りを楽しみ、後のことは考えたくないという願望は、一般のサポーター、スポンサー、マスコミ、協会にとってもそうなのでしょう。極めて残念な事ですが、それが日本にとっての「現実」なのだと諦観するしか無いのかもしれません。